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連載コラム 〜eラーニング徹学〜
 
第2回 eラーニング普及の歴史
 

eラーニングの歴史は、CAIから発展してきた。1980年代からはじまったCAI(ComputerAidedInstruction)は、何度かのブームをへて、企業におけるCBT(ComputerBasedTraining)、さらにネットの時代のWBT(WebBasedTraining)へと変遷してきた。現在は、より概念を発展させ、eラーニングとなっている。

 
 米国から普及したeラーニング

WBTは、米国で企業ユーザー向けに普及がはじまった。米国の有力なeラーニング企業の多くが1996年に創業されている。それから10年がたった。当時は、WBTという言葉が一般的だった。

ブレイクは、1999年の春にやってきた。かれらが創業して3年目に、飛躍のときをむかえたのだ。そのころ、わたしは、毎月サンフランシスコへ行き、ブレイクを目撃し肌で感じることができた。

eラーニングのベンチャー企業は、サンフランシスコ市内南部の倉庫街に拠点をおいていた。ハードメーカーやソフト会社が、サンフランシスコ郊外のシリコンバレーに拠点を置いていたのと対照的だった。前から、コンテンツ企業は都市文化とふかくかかわりがあると感じていたが、それは、拠点のおき場所の選択にもあらわれる。

1999年の3月、4月、5月と、米国のeラーニング市場は、爆発的に伸びていった。当時、わたしがよく訪れたベンチャー企業は、社員40名程度で、1999年3月期決算(米国企業にはめずらしく、3月決算の会社)の売り上げが2億円ほどだった。翌年はじめには、株式を公開し、売り上げも8億円に達した。突然急成長にはいったかれらの混乱ぶりが思い出される。その年には、社員が450名をこえ、翌年の売り上げは60億円におよんだ。

eラーニング市場は、数年後には4兆円市場と予想されて、5,000社にのぼるベンチャー企業が参入する熱気があった。そのころ、自動車産業の黎明期にも、米国で5,000社が市場に参入したこととよく比較されていた。波に乗って、eラーニングをてがける株式公開会社は、20社をはるかにこえるにいたた。

米国で、情報技術者教育からはじまったeラーニングは、またたくまに、グローバル企業の競争基盤強化の有力な武器となっていった

 
 日本では学校教育から 

日本でも、CAIのブームは、1980年代から何度もあった。まだ、通信速度が2400bpsというような信じられないくらい低速の時代から、ネット教育ははじまった。文字が順次受信され、トットットと表示されていくような速度だ。当時は、学習教材はフロッピーに収められており、学習履歴や教材の更新のためだけに通信がつかわれた。

そんな時代でも、かなり普及したネット教育もあった。小中学生用の学習コースだ。パソコンやプリンターなどをそろえるだけでも、70万円はしていた時期である。ラインズが販売していた「がんばるくん」は、1年間のネット教育教材費が12万円という高額であったが、販売期間の数年間で、2万人が利用したのだ。1994年には、「ラインズ先生」の商品名で、センターサーバーによる全国統一サービスが開始された。翌年には、インターネット版が登場し、海外でも受講できるようになった。月1万円程度の月謝制で、会員を伸ばしていった。

 学校でも、パソコンとネット教育の導入がすすんだ。とくに、「過疎」とよばれた地域で、パソコンをつかった教育の先進事例がたくさんうまれた。当時セコムラインズの社長だったわたしは、多い年には年間150日ほど出張し、全国の学校現場を歩いた。セコムラインズの教室内LANをつかったネット教育は、7,000校以上に導入された。

 セコムラインズのネット教育は、世界でも先進的な成功事例だといってよいだろう。2年ほど前に、韓国eラーニングナンバーワン企業のクレデュー社社長とお会いしたときに、起業にあたってはセコムラインズをベンチマークして、手本にしたのだと言われた。

 
 日本の企業向けeラーニング 

日本でも企業向けeラーニングは、米国とおなじころにはじまった。しかし、本格的にeラーニングが注目されはじめるのは、米国でブレイクがあった1999年春ころからだった。

ネットラーニングの創業は1998年1月であり、eラーニング起業としては、ぎりぎりのタイミングだと感じていた。98年秋から99年春にかけては、米国のベンチャー企業との合弁を模索していた。しかし、米国のeラーニング市場のブレイクにより、かれらは海外市場を考える余裕を失い、われわれは、待てないと考え、独自の事業化にふみきった。

2000年4月の8コースリリースをスタートに、ネットラーニングは新コースを毎月多数開講していった。このころ、eラーニングを提供する会社は、日本でも数十社になっていた。

日本の企業向けのeラーニングは、米国の3年おくれと言われたのはこのころだ。日本でも、情報技術者教育から導入がはじまったが、米国でその後大きな市場になった金融機関むけやヘルスケアなどの分野への大きなひろがりは、日本では見られなかった。

日本では、予想通り、グローバル企業からeラーニングの導入がはじまった。米国のグローバル企業が、eラーニングを知的競争力基盤の強化の決定的な武器として活用していることを、日本のグローバル企業は熟知している。トップからの強い指示で、はやくからeラーニング導入に動いた企業も少なくない。

ある会社でこのような体験をした。1999年の秋に、世界的に著名な日本のグローバル企業の専務に時間をいただいた。当時は、eラーニングの説明からはじめなければならない状況だった。話をはじめて20分、専務が言われた。「eラーニングを始めるために、当社は、すでに6月(1999年!)に研究所をつくった。いますぐ、チームを呼ぶからすぐに打ち合わせに入ってほしい。あなたがたに、出資もしましょう。」当時、ネットラーニングの社員は、3名。LMSもコースもまだない、ただ、事業コンセプトだけがあった。そのような会社をeラーニングのパートナーとして選んでいただいた。

そのような経験は、この会社だけではない。いくつも、経験することになった。当初から、グローバル企業には、強いニーズがあった

 
 米国のeラーニングの発展 

米国のeラーニングは多数の有力なベンチー企業の間で激しい競争が展開されながら発展してい 400億ドルといわれていた市場規模の予想も、最近はさらに拡大して、900億ドルともいわれている。

しかし、ネットバブルの崩壊のあと、吸収合併や経営者の交代もはげしかった。有力企業の再編はめまぐるしい。われわれが知っている米国eラーニング業界の人脈もどんどん消えている。展示会も規模が縮小している。

eラーニングのコースそのものやLMSの機能などにおいて、米国eラーニングがきわだった先進性をもっているかというとそうではない。

もともと、ネット教育そのものでは、日本がはるかに先行していたと思う。最近感じるのは、日本的なeラーニングと米国的なeラーニングが、はっきりわかれてきたということだ。それぞれの文化や経済の状況、企業文化のありかたなどによって、独自の発展をするのは当然かもしれない。いいかえれば、米国はお手本ではないということだろう。

とはいえ、米国で目立つのは、eラーニング・ベンチャー企業の活躍だ。日本とのきわだったちがいだろう。

 
 ベンチャーが少ない日本のベンダー

これまでのところ、日本でeラーニングを提供する企業のなかで、ベンチャーがきわめて少ないことが目立つ。eラーニング専業の企業が少ないということでもある。このことが、日本におけるeラーニング市場の拡大をさまたげてきた最大の理由ではないだろうか。

ユーザー企業の側には、強いニーズがある。提供する側が、それにこたえる商品を十分に用意できてきただろうか。

展示会でこんな声を聞く。「本をさがしにきたのに、本棚ばかり売っている。」

eラーニングで求められているのは、ソリューションであり、教育・研修の中身だ。

明るさもある。最近、eラーニングの分野にもベンチャーが少し増えてきた。専業企業が、すべてのエネルギーをよりよいeラーニングの提供にそそぎ、競い合うなら、ユーザー企業にこたえることができる。eラーニング市場が大きく発展する。

ネットラーニングは、ユーザー企業の要望にこたえられるeラーニング市場の発展に寄与したい。

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2005年5月1日 岸田 徹

 
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